児玉校長の教育エッセイ

情報公開

東大谷すずらん日記

オープンキャンパス

東大谷高等学校PTAページ

保護者の皆様へ

卒業生 各種証明書の発行手続きについて

大阪大谷大学サイト

お問い合わせ・資料請求

小論文試験

 

 

 新型インフルエンザ対策として1週間の臨時休校措置がとられたが、本校でもようやく1週間遅れで中間考査が実施された。私は社会科の教師である。高校の定期考査に小論文形式を取り入れてから、もう26年がたつ。最初は30点くらいの配点だった。文字数も300字に制限した。その後、しだいに小論文の配点を高くし、ついには1問=100点という今の形式に落ち着いた。

 私が小論文形式のテストにこだわる理由は大きく二つある。一つは授業でやった一番大切なことをしっかり理解してほしいからである。枝葉末節の知識はどうでもよい。1年間の授業を通して本当に理解しなければならない骨太の知識(私は4つしかないと思っているのだが)、それをしっかり理解しているかどうか。それを試すには小論文形式が一番よく分かるのである。もう一つの理由は、小論文形式のテストをすることによって、授業の受け方を変えさせたいからである。授業中、先生が板書したことをノートに書き写すだけという「受け身の態度」では、本物の学力は身に付かない。生徒の多くは、意味もよく分からないまま教科書のゴシックで書かれたことを覚えて、勉強したつもりになっている。しかし、そうした知識が本物の学力といえるのか。本物の学力とは小学生の子どもにでも分かるように易しく説明ができるようになることではないのか。わかりやすく説明できる力を育成するにはどうすればいいのか。それには定期考査のあり方を変え、定期考査を通して生徒と「差しの勝負」をするのが一番手っ取り早いのではないか。そうした観点から、定期考査に小論文試験を導入するようになった。もちろん、高校でこうしたテストをやる先生は(私以外)まだお目にかかったことがない。

 今年初めて東大谷高校に赴任したが、4月の最初の授業で3年生の生徒を前に「定期考査は小論文にする」と宣言した。もちろん生徒はびっくり仰天だ。「エーッ、そんなの書かれへん!」と不安(=不満?)を口にする。もちろんそうした反応は想定内である。そこで次のように説明する。

 「これからの社会では、自分の思っていることをきちんと文章で書ける力はますます重要になる。それにもかかわらず、そうした訓練を誰もしてくれない。最初は下手でもよい。だんだんうまくなればそれでいい。みんなはそういうテストを受けたことがないから心配かもしれないが、大学に行ったら試験はほとんど論文試験になる。皆さんは小論文なんか書けないというが、できないことをできるようにするのが教育である。練習は不可能を可能にする。確かに人間にはできることとできないことがある。しかし、最初からできないと自分の可能性に制限を設けるべきではない。野球でもテニスでも、同じことを何千回も何万回も練習をして、一つ一つできるようになっていく。勉強も同じである。3回や4回やっただけでできないとか、私には無理などと決めつけてはならない。」

 とはいっても、いきなり定期試験で小論文を書かせるのは乱暴だろうと思って、テスト前に事前に書き方をレクチャーし、「憲法の果たしている役割について説明せよ」(字数制限なし)というテーマで実際に書かせて練習をさせてみた。多くの生徒は初めての経験だから、どう書いてよいか分からず、添削してみると20点、30点(もちろん100点満点である)の答案が続出である。しかし、中には素晴らしい答案もあった。特に進学コースのNさん、特進コースのYさんの答案は素晴らしかった。ほとんど筆が止まることもなく、書き始めてわずか20分あまりでB4サイズの答案を一気に書きあげた。内容も実に素晴らしい。90点の点数をつけた。前任校で京都大学に現役合格した生徒がいたが、その生徒に匹敵する筆力である。(ちなみに私が満点をつけるのは10年に一人くらいである)。

 眠っている才能を引き出し、それを伸ばしてやる。それにはいろんな方法が試されてしかるべきであろう。確かに小論文の採点は大変である。不平等にならないように細心の注意を払い、神経をすり減らす。しかし、コンピュータによるマーク試験が幅を利かす時代だからこそ、書かせるトレーニングが重要なのではないかと思っている。

 

↑ページの先頭へ