児玉校長の教育エッセイ

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8月28日 泉大津教育セミナーでの校長の話(要旨)
 
「女は弱し、なれど母は強し」
 
ご参加への御礼と開会の挨拶(省略)
民主党の代表戦は、どうも管さんと小沢さんの一騎打ちとなるらしい。
小沢さんといえばつい数ヶ月ほど前、不明朗な政治資金の問題で幹事長を退任したばかりであるが、8月28日の読売新聞に哲学者の梅沢猛さんが「小沢さんと言う人は、壊し屋と言われ、人情をもたず、すさまじい権力欲にそって行動してきた人」というような談話を寄せていた。小沢さんの故郷である岩手県は「小沢王国」と呼ばれているらしい。
私には北国・岩手と壊し屋・小沢のイメージがどうも一致しないのである。岩手県は宮沢賢治や石川啄木など人間味溢れ、心根の優しい詩人の出身地である。
石川啄木を最初に知ったのは、教科書にあった
「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる」と言う有名な歌からであった。啄木はよく泣く歌人である。
「柔らかに柳青める北上の岸辺目に見ゆ 泣けと如くに」と、ここでも泣いている。
幼い頃から神童と言われた啄木だが、その才能は世に受け入れられること少なく、一家の不幸な境遇もあり、極貧の中で自らを嘆息するしかなかったであったろう。
「友がみな、我より偉く見ゆる日よ 花を買いきて妻と親しむ」や
「混み合える電車の隅にちぢこまる 夕べ夕べの我の愛しさ」
「心地よく我に働く仕事あれ、それをし遂げてぞ死南無と思う」
という歌にも啄木の悲哀が伝わってくる。 その啄木が、母を詠んだ歌に
「戯れに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩歩まず」
 という歌がある。代用教員や新聞社の使い走りをしながら、年老いた母を妻子と共に東京に呼び寄せ、せめてもの親孝行にと、渋る母を我が背中に負ってみたが、母のあまりの軽さに、驚きと涙で三歩も歩むことが出来なかった、という歌である。
 啄木の母上のことは詳しくは知らないが、曹洞宗の寺の住職であった夫〔啄木の父〕が寺を追われ、貧しく不幸な晩年であったようである。しかし数々の不幸に耐えながらも自分達を育ててくれた母への感謝の思いと、同時にまた、その母へ報えない自分の不甲斐なさ、歯がゆい想いが啄木には強くあったようである。
 
さて、啄木の母上に限らず、日本がまだ貧しかった時代、多くの母親が貧苦に耐え、必死に我が子を育て上げたものである。そのことは私自身の母親の姿からでも想像できる。
 「女は弱し、なれど母は強し」という言葉は、女性は本来「か弱い」ものであるが、子を持って母親になると命がけで子どもを守る「逞しい母親」に変身する、という意味である。
[我が子は何より大事。命をかけても我が子を守る]というのが、これまでの親の姿であった。これまでの、というのは最近、そのような親とは異なった親が現れだしたからである。親による[我が子への虐待]の頻発がそれを物語っている。
厚生労働省によると、2009年の児童虐待数は4万4210件で過去最高、10年前の約4倍だという。8月4日付けの読売新聞社説は[件数の増加は、社会の関心が 
高まって通報が増え、水面下の虐待があぶりだされた面もあるだろう。だが最近の事件の陰鬱さを見ると、児童虐待は深刻化している。」と書いている。深刻化の背景に、昔と比べて、「最近の親の姿の変化」があることを忘れてはならない。    (以下は次号で)

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