○この原稿は、去る1月27日に和泉市学校事務職員研修会において1時間30分にわたって講演した内容を転載したものです。(コダマ ミチヒト敬白)
演題「私の学校経歴から」
・はじめに
・ 教師になろうと思った動機
・ 母親の恩
・ 学校事務職員として出発
・学校における事務職員の役割
・ 朋(とも)に歩む、win―winの関係
・ 事務職員と生徒
・ 「訳あり教員」
・ 子どものけんかに親が出る
・ ダメなものはダメと教える親
・ 叱る、躾ける、にもTPO
・ 言葉は「魔物」
・ 子どもをもっと誉めましょう!
・ 伸ばす言葉の3要素
・ 誉めることは認めること
「私の学校経歴から」
ご紹介いただきました東大谷高校の児玉でございます、ご縁があって今日、みなさんとこうやってお話できますことを有難く思っています。
私が勤めております東大谷高等学校は真宗大谷派の仏教系の女子校で、理事長も学園長も浄土真宗のお坊さんです。ですから私の頭を見て、「校長先生は、この学校に来られたのでそんな頭になさったのですか?」と聞いて来られたお母さんが居ました。私はとりあえず「そうですよ。」と答えましたが、実は、この坊主頭は、殆ど自然にそうなったものでして、決して宗教系の学校に勤めたからこうした訳ではないんです。
では何故こうなったかと言いますと、その原因は人類の進化です。人類は猿から進化したといわれますが、進化した当時は、体中が毛むくじゃらでした。段々進化が進むにつれ、不要な毛は消えて行きます。人類よりはるかに文明が発達していると想定されている宇宙人は例えば映画のETにしても、どの想像図を見てもすべて毛がありません。恐らく我々人類もやがては全身から毛がなくなっていくでしょう。文明が発展するにつれ、不必要な体毛は消えるのです。そう考えれば私のこの頭は、進化が他の人より早い、ということであります。
毛がないというのはある面、便利でもあります。風呂でシャンプーやリンスなど使う必要がありません。頭から足先まで石鹸ひとつでOKです。散髪屋もこの十数年お世話になったことはありません。家庭でバリカン1本、2~3分でOkです。もちろんタダです。
しかし、昔、『抜け始めて分かる、髪は長い友達』というコマーシャルがありましたが、冬は頭が寒い、夏は日光が地肌に直に来ますから熱いアツイ!何かにコツンとぶつかると「毛がないからすぐにケガします。」 やっぱり髪は大事なんです。
さて私は、東大谷高校にお世話になって、この4月で丸2年になります。東大谷高校の校訓は『報恩・感謝』であります。生徒たちに『自分の力で「生きている」のではなく、ご両親をはじめ多くの「ご縁」によって命を授かり、さまざまな人たちの「ご縁」によって「生かされている」んですよ。だから命を授けて頂いたご両親ご先祖をはじめ、世の多くの人たちに感謝し、命を大切にしなければならないのです。』と教えます。仏教で「ご縁」とは、様々な「偶然の重なり」を言います。たとえば「私の命」は私の両親がこの世に生まれ、たまたま「出会った」から私がうまれることが出来たわけです。両親がうまれていても、二人が出会わなければ私は存在しない。出会っていたとしてもどちらかが先に死んだり、分かれたりしていれば私はうまれることが出来なかった。それはまた遡って両親にだっていえるわけで父方の祖父母、母方の祖父母が出会っていなかったら両親は生まれてこなかった。とすれば私も生まれることが出来なかった、ということで今、ここに私の命が存在することは、幾世代ものそれこそ気の遠くなるような幾百千万もの出会いやきっかけが重なりあって存在できているわけです。逆にこの幾百千万のうちのたった一つどこかが切れていたら私のこの命の存在はなかったということになります。まさに偶然が幾層幾層にも重なって(ご縁)、この命が誕生することができたというわけです。そういう意味で「この命」とは有り難い、本来、有ることが難づかしい、なかなか有り得ない存在なのです。だから「有難い、尊い命」なのです。
私はこの学校に勤めるようになってからあらためて、人と人との出会い、「ご縁」というものの不思議さ・有難さをつくづく感じるようになりました。
今日ここで皆様とお会いできましたのも、事務研究会部長の東口さんとのご縁がきっかけであります。東口さんの娘さんは、岸和田高校の現在3年生です。3年ほど前、学校説明会で、私が岸和田高校の校長として話したのを東口さんが覚えていて下さって、今回の研修会でなにか喋ってくれとのお話を頂きました。普通ならお断りをするのですが、岸和田高校でのご縁とそれに私自身が、かって6年足らずですが学校事務職員をしていた、と言う事もありまして、なにかお役に立てるのなら、とお引き受けしました。
本日のテーマを「私の学校経歴から」とさせて頂きました。私もいつしか63歳になってしまいました。これまでの63年間のうち45年間、学校関係の仕事をしてきました。そういう点では、教員の中では、事務職員、定時制高校、全日制高校、府教委指導主事、教頭、校長、教育センター、私立の校長と結構、色々な経歴を持っているほうだと思っております。本日はそのような私の経験の一端をご披露して、何かのご参考になれば幸いです。
「教師になろうと思った動機」
私が小学4年のころ、学校給食が始まりました。当時の学校給食は希望制で、家が貧乏で給食費が払えない子どもは弁当を持っていくか、食べに帰るか、給食時間は何人かの仲間と教室の外で待つかでした。私もよく運動場の片隅で過ごしたのをお覚えています。6年になりたての頃、担任の先生に呼ばれました。その先生は金持ちの子や、成績の良い子を可愛がる先生でした。私は学校の成績はそこそこ良かったので、その先生には結構かわいがって貰ってました。それまでの担任には、給食費が払えないから給食をとれない、とはいえなかったのですが、この先生ならと思って本当のことを打ち明けました。先生は「お前の家はお寺だろう?」と不思議そうに聞いてきました。都会育ちの先生には、天草の寺の状況がわからないのです。実は天草は人口に比べ寺の数が全国一多いのです。江戸時代、幕府がキリシタン対策でそうしたのです。戦前までは、寺は幕府から貰った土地を持ち、檀家がなくとも地主として豊かでした。しかし戦後の農地解放で寺の土地は殆ど没収されたので急激に貧乏寺になったのです。
家が貧しくて給食が受けれない、と話した日から先生の態度が変わり、私はことあるごとにその先生にイジメ、いびられ続けました。たとえば席替えのとき、「児玉は森山と仲がよいから一緒に座れ」と言われて、私はいつも森山君の横に座らされました。森山君は私と同じく貧乏で、勉強もあまり出来ず授業中、じっとできない生徒でした。だからよく私にちょっかいしてきます。すると先生は「児玉、森山何をしてるんや!教科書と帳面持って前に来い」と言って二人教壇の横に正座させられました。
音楽の時間、ハモニカ演奏の時間がありました。授業の終わり頃、先生が「誰か吹きたいものはいるか」というので、私と生駒君と二人が手を挙げました。二人とも「ハモニカクラブ」に所属していましたが、私の父はハモニカの名手で、私も父に教えてもらっていたので得意げに舌先でバイブを掛けて演奏しました。皆、「うまい!うまい!」と誉めてくれましたが、先生には、「教えてもしない勝手な吹き方をして!」と竹の鞭で叩かれました。次の生駒君は私よりも明らかに下手でしたが先生は、「なかなか、いい」と誉め、生駒君葉得意げでした。生駒君は町の洋服屋の息子でお母さんは学校の役員をしていたようです。休み時間に友達は、「児玉のほうが絶対うまかったのに、」と慰めてくれました。理科で電気絶縁の授業がありました。教室の天井にコードがぶら下がっていて、黒いソケットがあります。先生は私を指名して「児玉、はだしになって机の上に上がれ」と言うので、「何で俺が?」と思いながら机にあがると、「そのソケットに指を入れろ」と先生の命令、指を入れると、びりっと電気が走り思わず手を引っ込めました。
次に先生は、机に雑巾を何枚も重ね、私にゴム草履を履かせ、もう一度指を入れろ、と言います。言われたとおりにしますと、今度は、びりっと来ません。
先生は、「布やゴムは電気を通しにくい、だから二回目はびりっとこないのだ」と説明しました。今なら、人体実験で問題になるところですが、そんな仕打ちを日々受けてきました。
「将来、先生になって、弱い子や貧しい子を大事にする教育をしたい!」と決意したのは、多分この6年の時からです。「反面教師」という言葉がありますが小学6年のときの担任は、私にとってまさに「反面教師」であったわけです。
「母親の恩」
教師になりたい、という夢は、それからも一貫して持っていましたが、高校2年の時、父親が結核で血を吐いて、入院し、大学進学を諦めざるを得ませんでした。しかし、「私が教師になりたい!」という願いを持っていることを知っていた高3の担任が「児玉、お前、教員になりたいなら夜間大学もある。働きながら大学行け、資格は昼も夜も同じや」と励まして、日本育英会の特別予約奨学金を推薦してくれました。
幸い、特別予約奨学金貸与が決定、当時、高卒初任給が12000円の時、大学に入学すれば、月8000円の奨学金が支給されます。
しかし大学進学のためには受験費用、交通費、入学金、当座の生活費が必要です。天草は島ですし、当時はまだ橋がありませんでしたから、県庁所在地の熊本市にも、船で片道3時間、電車で更に1時間かかります。当然宿泊費もいります。
夜、囲炉裏端で恐る恐る母親に相談しました。私の話を聴き終えた母は水屋の戸棚から手垢のついた預金通帳を取り出しながら「お前がいつかそう言うだろうと思って貯めておいた。この金ですべて賄えるなら使ったらいい。しかしそれ以上は出せない。」といいました。見ると「農協みのり貯金」と言う積み立て貯金の通帳で、50円、100円、120円、250円と積み立てられ、合計7万円ありました。50円は家で飼っていたニワトリの卵が10個たまると農協に持っていって売ったお金、100円、120円は裏山の筍や母が作った野菜を売ったお金、250円は母が堤防工事など男に混じって日雇い労働で稼いだ日当です。その事情を知っているだけに、私は涙が止まりませんでした。
この7万円で受験し、入学金も支払うことが出来ました。
岸和田に嫁いで居た姉を頼って上阪、大阪市立大学夜間部に入学、岸和田の紡績工場で半年勤務、6月に大阪府事務職員試験合格、9月から府立佐野高校事務職員として採用され。働きながら学ぶ苦学生活が始まりました。給料と奨学金で私自身の生活は比較的安定しましたので、その頃から毎月田舎への仕送りは母が死ぬまでホトンド欠かさず続けました。せめてもの母への恩返しのつもりです。
「学校事務職員として出発」
公立大学の夜間部は卒業に最低5年必要でした。4年後には同年齢の人が先生として着任、5年後には年下の先生が着任しました。その都度、羨ましく嫉妬心に駆られました。当時、若い事務職員はよく便利使いされ、お昼の弁当注文やタバコ買いを頼まれました。自分より年下の教師から御用聞き扱いは正直、私には屈辱的でした。このときの悔しい思いが、「親のすねかじって昼間の大学に行った奴には負けたくない!」との頑張りにつながったように思います。しかし自分が夜学を出た、ということは私の強いコンプレックスになっていて、なかなか自分からは言い出せませんでした。反骨とコンプレックスが入り交ざった屈折した性格はこの頃からだと思います。苦学したことをむしろ自慢話として語れるようになったのは、やっと校長になった最近のことです。
他人は「そんなこと気にすることない」と言いますが、髪の毛にしろ学歴にしろハンデイは抱えた当人にとっては非常に深刻な問題なのです。
18歳から23歳までの事務職員時代は青春真只中ということもあり、一番楽しい時期でもありました。学校文化が古き良き時代で、事務職の転勤は殆ど無かったし、古参職員で学校の生き字引的存在の人がおり、若手の面倒をよく見て可愛がってくれました。事務室全体が、私には気を使ってくれ、仕事も大学に間に合うようにと早く終わらせてくれました。また当時の学校には、宿直制度があり、宿直の日に気のあった教員と良く飲み食いもしました。
ただ全体には事務職員の地位は低く、組合運動華やかなりし時代でしたが組合の運動方針の文書にさえ「教員」とのみ記載されていたのを、大会で「学校で働いているのは教員だけではない!」と「教職員」という語句に修正させたことを覚えています。
以下は、私の校長としての経験からの話です。
「学校における事務職員の役割」
校長として教頭以外で一番「頼り」にしたのは事務職員で、また支えてくれたのも事務室の人たちでした。高校の場合、事務室があるので電話にせよ来客にせよ、まず事務室が対応します。事務職員は文字とおり、その学校の顔で、学校の第一印象は事務室で決まる、と言っても良い。
事務職の場合、個人の給与や家庭状況を含めて個人情報を扱うので、守秘義務をきちんと守る必要がありますが、また噂を含めて学校内外のいろんな情報が集まりやすいのも事務職です。校長・教頭では知りえない色々な情報を教えてもらうことで学校経営上、随分助かった経験が多々あります。 また校長や教頭が言うより、事務職の人に言って貰うほうが教員は素直に納得する場合が多いので、そういう意味でも校長との密接な連携、いわゆる報・連・相をきちんとして頂くと大変有難いものです。
一時期、府教委の高校教育課で係長を務めたことがありました。部下には超一流大学出身の指導主事が何人もいました。彼らは優秀で言われた仕事はテキパキとこなしてくれた。しかしその仕事がなぜ、何のために必要か、どうすればより効果的に目的が達成出来るか、などを考えて仕事をこなす人材は少なく、教育委員会指導主事ともなれば「上から目線」で学校や校長先生方を見て、いわゆる「指導する」という態度があらわになる者も多い。私は部下に「教育行政の仕事は現場をサポートし、その学校の教育目標達成のために条件や環境整備が一番の役割で、いわば縁の下の力持ちである。いつもその視点に立って自分の業務を考えるように、」と指示していました。
小中学校では事務職員は原則一人配置と聞いていますが、日々、学校で痛感している方もあると思いますが学校内においていわゆる行政職は、常に少数派です。したがって孤立感や疎外感を感じる場面が多い。正しいことを言っても教員相手には多勢に無勢、数では圧倒的に不利です。そのことが摩擦・やトラブルを深刻にする場合もあります。一番多いのは仕事のすみわけ、つまり教員の仕事なのか、事務がやるべきなのか、という区分けでは、ないでしょうか。押し付け合い、は一番まずい、しかし仕事によっては線引きが難しい、また、はっきり分けないほうが良い場合もあります。これらの最終的な判断は校長がやるしかない。その際、当事者だけへの説明では一過性に終わる場合があります。したがって全体の場でも校長からキチンとした説明が必要であろうと思います。
双方がいがみ合うのではなく、互いの立場を理解し、気持ちよく支えあう関係作りも校長・教頭の大事な仕事の一つだと私は思っています。
「朋(とも)に歩む」
往々にして、互いの関係がうまくいくか、いかないかは言葉一つ、気配りひとつです。当然のように「これやって!」と言われたら、「これは私の仕事ではありません!」と突っぱねたくなります。「忙しいのにすみませんが、お願いできませんか。」と頼まれたら、「いいわよ、やってあげる」となるものです。また頼んだ後に「有難う。助かりました。」と感謝の言葉あれば次につながります。
仏教では「煩悩」を抱えるちっぽけな人間同士が、互いの弱さをいたわり、助け合いながら、「朋に歩む」ということが教えの一つにあります。この「朋に歩む」という姿勢は、学校内での人間関係にも大切だとおもいます。
京都に在住で、自らを「托鉢者」と呼ぶ石川洋さんと言う高齢の仏道修行者が居られますが、その方が以前、NHKの番組で語っておられました。「ウサギと亀の駆けっこ」の話は有名ですが、私はこれは日本の民話かと思っていましたが、実はイソップ童話らしいですね。その童話を例にして石川洋さんは「自分は早くなくてもいい、駆けっこに勝たなくてもいい。寝ているウサギさんを起こしてあげられる私になりたい」と語っておられました。私たちがこの童話を元に教えられてきたのは「油断の戒めと努力の推奨」であり、いずれも相手に勝つ、負けるの勝負が基本でありました。しかし、寝ているウサギさんを起こして挙げられる私になりたい、これはまさに勝ち負けにとらわれない「朋に歩む」姿であります。この姿勢こそ人の心を本当の平安に導くものだと思います。
もう一つ、私が生徒たちによく紹介する話しがあります。流行の言葉で言うと「win-winの関係」と言うらしいですが、以下は岡山県のある高校で聞いた話です。
ある高校に中学時代バスケット部で活躍したA子とB子が入学しました。二人とも高校でバスケット部に入部し、B子とともに新入生ながらレギュラーに選ばれました。特にA子の活躍は目覚しく試合でも活躍しました。ところがある日から突然、B子がA子を無視するようになり、試合中もA子にパスを回さなくなりました。A子には、なぜB子が変わったのか思い当たりません。B子に「どうしたん?」と聞いても「別に、、、、」と顔をそむけます。A子はB子のそんな態度が納得できませんし、腹がたちます。そこでお父さんに相談しました。じっとA子の話を聴いていたお父さんは、最後に言いました。「一つだけ解決策がある。それは今度、お前にボールが回ってきたら、それをすべてB子さんにパスすることや。それが解決策や」と言い残して席を立ちました。でもA子には納得がいきません。「最初に無視してきたのはB子の方や!なんで私からパスせんとあかんのや、絶対イヤヤ!」A子はそう思いました。
数日後、対外試合があり、お父さんも応援に来ました。試合が始まってしばらくするとA子にボールが渡り、A子はそのままシュートしようとしました。其の時です、観客席から「B子さんにパスや!」とお父さんの声がしました。A子はその声につられて、ついB子にパスしました。ボールを受けたB子はシュートし得点しました。そのあとまたA子にボールが回りました。お父さんはまた「B子さんにパスや!」と叫び、A子はB子にパスし、B子は続けて得点を重ねました。観客席からも拍手が起こりました。A子も思わず拍手していました。そしてこの時A子は今まで感じたことのなかった不思議な感情になりました。それは他人をサポートし、その成功を自分のことのように喜ぶ充足感とでも言うのでしょうか。とくにこれまで自分を無視し続けたB子のことですから、A子にはこの不思議な感覚が一種、小気味良い感情となり、その後はためらいなくB子にパスしました。すると試合後半に突然、今度はB子からA子にパスが来ました。そのパスをびっくりしながらA子が受けてシュートを入れると、B子が笑顔でハイタッチしてきました。当日の試合は僅かの差で負けましたが、試合後A子もB子も爽やかに声を掛け合い、知らぬ間に二人は以前と変わらない中になっていました。
「目には目を」では、いがみ合いは無くならず、穏やかな心も取り戻せません。この話のように一方が譲ることで仲直りも出来ます。要はどちらが先にA子になれるかです。「朋に歩む」と言う言葉を肝に銘じておきたいものです。
「事務職員と生徒」
学校は教育の場ですが、教員だけが教育に携わるのではないのです。教育は、学校全体、全てのポジションが行うべきであり、いい学校とは、すべての構成員それぞれが生徒の教育に関わっているという自覚が定着している学校である。生徒は往々にして教員以外の人の言葉を素直に聞く場合が多い。また生徒への指導は「飽きず、諦めず、繰り返し」が大事であり、いろいろな立場の人が、時間と場所は違っても、同じ姿勢で指導することが何より効果的である。
小中学校の場合、教員と事務職員が同じ部屋であると聞くが、その分、生徒とじかに接触する機会は一段と多いと思う。単なる事務屋になるのではなく学校という教育機関の一員であるという自覚を積極的に持って頂きたい、
また教員は事務手続きや事務作業をおろそかにして良いはずはない。授業以外は自分の本来業務ではないと思い込んでいる教員が結構いる。入学時や学年はじめに様々な書類を生徒から集める必要があるが、それに非協力的というか、それらは自分の仕事ではない、と頭から思い込んでいる教員が結構いる。事務書類をきちんと期日内に提出させることも大事な教育の一環であるという認識を教員に持たせる努力が大事であると思います。
・「訳あり教員」
また事務職員の方には、若い教員への助言や指導も積極的に行ってもらいたい。昨日まで学生だった人間が、辞令を貰った即日から「先生」と呼ばれ一人前扱いされる世界が学校文化である。これはある面、異常でもある。社会から隔絶された学校の中で、若くから先生、先生と呼ばれ続けたら、人間えてして高慢になりがちである。私は、職員室では自分より年配の人以外は「先生」と呼ばず、○○さんと呼んでいます。
府立の校長を退職後1年間、大阪府教育センターの資質向上指導員をした。小・中・高の学校現場からいわゆる「訳あり教員」が3ヶ月、半年、1年と長期研修に派遣される。それを指導して教員として再生するのが仕事。
これは其の時実際に体験した信じられない本当の話、50代の研修生にテキストを読ましていた。ある部分で「大まめ・小まめ」と読むのでテキストを見返したら大豆と小豆である。君それは「だいず・あずき」と読むんだ、と教えたら「あア、そう読むんですか、じゃア瀬戸内海のあのオリーブの島はあずき島ですか?」と真顔でいうので、それはしょうど島だ!と思わず怒鳴ってしまった。彼は大阪の超一流大学の理学部出身。専門以外のことは全く関知しないで生きてきたみたいである。
最近は大学出たての若い教員に「訳あり教員」が増えてきている。挨拶が出来ない、年長者への杜撰な態度、感謝の言葉を知らない、世間的常識がない、他への思いやり、気配りが出来ない、一番厄介なことは、本人がそれに全く気づいていない、間違いや問題を注意すると反省するどころか逆ぎれしたり、むくれたりすることである。そのような教員が担任を持つと当然、親や生徒とトラブル続出となる。
偏差値教育が教員の人間性までゆがめたのではないか、と思うことが多い。団塊の世代の退職が引き続く中、初任者への社会的教育は緊急課題である。
「子どもの喧嘩に親が出る時代」
クレーマーとかモンスターぺアレントとか言われだして彼れ是れ10年近くなるが、確かに親も変わってきている。
本来、子どもは仲間との喧嘩や仲たがいなどを通して、友人との距離のとり方や付き合い方を学んでいくもので、それらは成長に必要な栄養剤でもある。しかし、今時の親は、わが子中心で自分の子しか見ない、見えないから、友人とのちょっとしたトラブルや仲たがいをわが子が、いじめ被害にあったように感じて苦情を言ってくる。(教育の世界で「いじめ」とは、不特定多数または個人が一定の期間継続して、特定の子に対して精神的・肉体的苦痛を与える、ことを言う。)
昔は子どものけんかに親が出ると、『なんという親や』と周りから顰蹙を買ったものだが、今は明らかに違ってきている。背景には地域の教育力の崩壊、さらには核家族化で親そのものが孤立化して冷静な判断が出来ないなどの要素がある。少子化の進行は、実は少親化の進行でもある。子を持つ親が減っている。またおじいちゃんやおばあちゃんから若い親へ、あるいは親同士で子育ての経験や知識を交流する機会も少ない。しかも時代は急速で子育ての内容も変化している。総じて親たちが「子育て」に戸惑いと焦り、神経過敏、自信喪失の状態に陥って、学校や教師に攻撃的になっている現状がある。
「ダメなものはダメ、と教えよ!」
以前、マラソン監督として有名な小出監督が「Qちゃんや有森選手は一般の子どもたちと何処が違いますか?』と聞かれて「普通の子どもたちと、どこも違いません。ただ親が違う。Qちゃんや有森選手の親は毅然としている、厳しい、叱る。ところが今の親はわが子を叱らない、叱れない。そこが違う。」と述べてました。
「親が自信を持って子どもを叱る。」ここがポイントです。
わが子を本当に幸せに育てたいと思うなら、成績ばかり気にするのでなく、本気でわが子をしかれる親になることが大事です。他人に迷惑をかけたらダメ!とか、してはいけないこと、しなくてはならないこと、のケジメをしっかり教える親になることです。
これはいわゆる躾です。躾という漢字は、身体の身に美しいと書きます。日本の伝統や慣習、社会規範に従った身のこなし、これを躾といいます。
しつけには理屈はいりません。昔から引き継がれてきた慣習や常識、善悪のけじめを、幼い頃からしっかりと体と心に叩き込むことが大事です。
だから幼い頃のほうが効果があがります。朝はきちんと起きて「おはよう!」と挨拶し、起きたら歯を磨く、朝ごはんはきちんと食べる。人に会ったら頭を下げて挨拶する。老人には席を譲る、人前で携帯や化粧はダメ!
小さい頃からこのように親が言い続ければ子どもはだんだん身についてくるものです。それが躾なのです。
躾は、早い時期から、毅然と、繰り返し行うことが大事である。理屈ぬきで体と心に教え込むことが躾の鉄則である。
「叱る、躾ける、にもTPO」
叱る、躾けるにも時と場合があります。学校でよくある話ですが、
①体育の時間、教室においていたカバンから財布が無くなった。盗られた生徒は真っ青になって担任に届けでた。そしたら「ちゃんと先生に預けなかったお前の不注意や!」と担任に怒鳴られた。~~~被害者なのに事情を聞いてくれもせず、いきなり怒られるのは筋違い。盗られたほうが悪い!だけでは犯罪はなくならない。
②登校中に痴漢に体を触られた生徒が職員室に泣きながら訴えてきた。その子は日ごろからスカートが短く、化粧もしているみたい。訴えを聞いた生活指導の先生、大勢の前で「だから以前から注意してるやないか。お前の服装に問題があるんや!」みたいな言い方。
~~~痴漢にあったショックで気が動転している子に、いきなり説教はないやろう。まず、いたわり、気持ちを落ち着かせるのが先だろう。
「言葉は[魔物]」
東京聖心女子大の教授に鈴木秀子さんという方がおられます。この方は、キリスト教の社会貢献活動の一環として、やがて死を迎えようとする人の側で、一緒の時間を過ごし、思いや苦しみを分かち合い、癒しを与える活動を続けておられ、これまで何百人もの人の最後に立ち会ってこられました。その鈴木さんが「人が最後に希望するもの」というエッセイで次のように書いておられます。
死期が迫った人の側で、共にお祈りし、ベッドに横たわる手を握りながら、「何かしたいことはありますか?して欲しいことはありますか?」と尋ねると、多くの人たちが「仲直りをしたい。謝りたい」と言うそうです。これまでの人生の中で気にかかっている人、仲たがいをした人に謝り、許してもらいたい。あるおばあさんは「何十年も前の女学生の頃、友人を酷い言葉で傷つけてしまった。その友人に謝りたい!」と。しかしその人を探し出して呼んでくることはできません。そんな時、鈴木さんは「会うことは出来ないけれど、あなたの今の気持ちを素直に言葉にしてお伝えすれば、それはきっと通じますよ」と言うそうです。すると、患者さんの苦しそうな表情が和らぎ、目を閉じて穏やかに謝罪の言葉を述べ、心安らかになる方が多いそうです。
若い頃に不用意に遣った言葉で、相手をいたく傷つけてしまった、申し訳ないことをした。と数十年間悔やみ続ける人がいる。言われた人だけでなく、言った本人も傷ついている、、、、。言葉には本当に不思議な力があります。学校は、まさに言葉で勝負する現場ですが、言葉は生かして遣えば、相手に力と元気を与えカンプル剤になりますが、しかし使いようによっては、相手を傷つけ、相手の命さえ奪う「刃物]になることがあります。「言葉は魔物」と言われたりしますが、学校を「魔物や刃物の世界」にしてはなりません。
この年になっても、人に誉められたら嬉しい、元気が出るものです。意欲を引き出すのも、やる気を出さすのも言葉しだい。私は親や教員にもっと子どもを誉めましょう、と言っています。そこで、私が思う「子どもを伸ばす3つのポイント」を紹介したい。
「伸ばす言葉の3要素」
1 は、「共感する」です――フーン、そうなの。それでー、そう良かったね。楽しいのね。
2 は「感謝する」です――ありがとう、うれしいわ、助かるわ、
3 は「認知する」です――頑張ってルネ、すごいね。信じてるからね~~くれぐれも「頑張って!」はダメですよ。あるお母さんが、テスト期間中に勉強部屋から出てきた我が子に「テスト勉強、頑張って!」と声をかけたところ、その娘さんがじっとお母さんの顔をきて、目から大粒の涙を溢れさせながら「お母さん、私これだけ頑張ってるのに、まだ頑張れって言うの」と泣き出したそうです。頑張ってる子に「頑張って!」は余計なプレッシヤーになります。
「誉めることは認めること」
親は子どもが幼い頃は誉めすぎるほど誉める。しかし成長するにつれ誉めるより、叱咤激励、小言や愚痴が多くなりますね。期待が大きい分、子どもの現状に満足できなくなるようです。
ある教員が、「校長、生徒を誉めろ、誉めろ、というけど中にはどうにも誉めるところがない生徒もいますよ。そんな子を誉めたら他の生徒が怒りますよ。」と言ってきました。それは違うんです。生徒同士を互いに比較するのではなく、生徒一人一人の変化に注意していたら、いくらでも声かけるところはあるのです。「おい、今日は声が大きく元気やないか。」「今日は、嬉しそうやな、何か良いことあったんか。」「今日は遅刻せんと来たやないか!」「今日は顔色良いでー」と、そう声かけるだけで生徒は「あア、先生はちゃんと見てくれてるんや!」と元気になります。誉めるということは、相手の存在を認知し、そのメッセージを出してやる、ことなのです。家庭でも、奥さんが髪型変えても、おしゃれしていても全然気づかないご主人がいますが、これでは奥さんはだんだんとやる気も色気もなくすでしょう。
「元旦やわが女房に惚れ直し」という川柳があります。
家庭円満の秘訣はこれです。気づいてあげてください、変化に注意してください。例え、事実でなくても、「あっ、今日はいつもと違うなー、えらくキレイやでー、美容院行ってきたんか?」と驚いて見せれば、奥さんは嘘と分かっていても喜びます。夫婦の場合、逆もまた同じことが言えます。これは職場でも通用します。
皆さん子どもをほめましょう、ご主人は奥さんを、奥さんはご主人を、もっと誉めましょう、職場で同僚をもっと誉めましょう。そして「朋に歩む」、人間関係を作りましょう!
これで私の拙い話を終わりにさせて頂きます。御清聴有難うございました。